研究員コラム

2007.11.01中間 真一

性善説で未来を描きたい~「ごまかし」と「ずるさ」を超えた価値ある社会へ~

 政治資金の使い途の透明化をめぐり、「1円からの領収書」議論が政治の世界でにぎやかです。しかし、世間の人びとは、領収書を必要とする金額ではなく、公のお金を「ごまかし」て使ったり、「ずるい」ことをしたりしている態度と行為への批判に向いているようです。いやいや、これは政治批判のつもりではありません。たまたまピッタリの例だと感じたまでなのです。

 ここ最近、食品関連の企業で「ごまかし」や「ずるい」やり方が立て続けに明るみに出て目立ちました。しかし、全国学力テストの実施においてもズルがあり、正義を守る砦となるべき司法の試験の周辺でもありました。こういう「ごまかし」や「ずる」が目立つように感じられるのは、なぜなのでしょう?

 ある老舗の食品会社は激しい競争にさらされていました。海外からはいくらでも安い食材がどんどん入るし、国内で人を雇うと高くつくので国外で加工せざるを得ない。こんなことは、市場競争原理の下では、供給者として「よいものを、より安く」消費者に提供するための「経営努力」として当然のことでしょう。きっと、政治活動も同じでしょう。限られた資金の中で、よりよい政治活動をするために、いろいろな工夫をしている政治家だっているはずです。しかし、すべては提供する価値がちゃんと保証されていることが前提です。

ところで、管理技術の一つにVE(バリュー・エンジニアリング)という考え方があり、私もかつて仕事で取り組んでいたことがあります。最近では、原価低減活動としてとらえられることが多いようですが、本来のVEの考え方は、「価値:V」=「機能(はたらき):F」÷「費用:C」であり、価値向上を目指した改善活動を進めるための管理技術です。ですから、価値を向上させるには、「はたらき」を上げるか、「費用」を下げるか、両方やるかということになるわけです。とても、わかりやすい理屈です。しかし、実際にそれを実現するのは容易ではありません。特に、長いこと続いてきた製品やサービス、活動などにおいては、改善努力の蓄積と固定観念の縛りにより、身動きをとりにくくなっていることが多いものです。もしかすると、最近の政治資金の不正や、食品産業などでの不正も、同様の構図の中にあるのかも知れません。

 しかし、みんな生き残りに必死です。競争が激化するばかりの時代、負けたら「ハイ、それまでよ」ですから。そこで、少しなら大丈夫と「はたらき」をごまかして品質を下げたり、お金をかけていないのに、かけているとごまかしてしまったりという、小さなズルをし始めてしまう。つまり、V=F/Cの外側と内側のギャップを隠して偽装する誘惑にかられてしまう。しかし、一度生まれたギャップは、雪だるま式に膨れあがり、露呈してしまった時には既にアウトとなっているわけでしょう。

 こういう企業の不祥事、企業倫理の欠如に対し、「内部統制」や「コンプライアンス」の徹底が企業内で強く叫ばれ、このような事態が生まれ得ない仕事の仕方、手続きを積極的に導入するようになりました。確かに、不正防止は重要なことですし、それが生まれないしくみを組織の中につくることは大切です。しかし、そのためのマニュアルや書類、システムに頼りきって、「自律社会」という未来社会の方向性を見失ってはならないと感じます。人を信頼することを前提とした世の中ではなく、人に対して疑念を持ってやりとりする世の中へ、このまんまズンズン進んでしまってはならないという懸念です。性悪説にもとづく社会進化への心配です。

 私の恩師は言いました。「人間は弱くて、意気地がなくて、だらしがないものだということを認めよう」そして、「人間は私利私欲に走りたがるものであることを認めよう。しかし、私利私欲に走ることは、結局私利私欲に結びつかないと知る賢さを持とう」と。さらに、「人間は一人だけではハッピーになれません。皆でハッピーになるように努めましょう」と言いました。だから、私は人間の弱さに対し厳しく監視する性悪説立脚社会ではなく、弱さを承知した上で、それを超えた支え合いのできる性善説立脚社会を望みたいと考えてきました。理想論かもしれませんが、自律社会って、強い人間にしか生きられない社会とは思いたくありませんし、「1円の領収書」なんておかしいですから。
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