研究員コラム

2007.07.01澤田 美奈子

「専門性」という名の「個性」~キャリア教育のこれからを考えるための1つのヒント~

 高校の『倫理』の教科書に載っていた、キルケゴールの「あれか、これか」という言葉は、もっともではあるのだけど、"自分は何者にでもなれるはずだ"という若者特有の根拠なき万能感に満ち溢れていた当時の私にとって、頭では理解できても、どうしても"身体化"できぬ哲学だった。

 大学選びにしてもそうで、(哲学も学びたい、でも生物学にも興味があるし、それ以外にももっと自分に向いていることがあるかもしれない)なんて考えていた「あれも、これも」人間の自分にとっては、「リベラル・アーツ」を謳った母校はまさにうってつけの大学だったのである。

 しかし実際入学してみて愕然としたのは、浅く広く学ぶことを奨励しつつも、その傍ら、専門を1人1つ見つけ、それを深く学ぶことも要求される現実だった。

 私の場合は、ヒトの気持ちに興味があって、心理学を専攻に選んだ。外から見る心理学はもっと"やわらかい"学問だと思っていた。
 が、実際、必修授業の内容は、統計学の勉強をしたり(心理学に数式が出てくるなんて聞いてなかった)、朝から晩まで調査実習活動があったり、山のようなレポートの宿題が出たりなど、どう見ても心理学研究の「専門家」を育成するプログラムだったのである。

  「リベラル・アーツ」なのにここまで深く学ぶ必要があるのか...という疑問を抱えながら、毎日のように研究室に閉じこもって研究する日々が続き、自分がどんどん1つの狭い世界に閉じた"タコツボ"人間になっていく気がして、不安だった。

 しかし、今振り返ってみれば、それは私の大事な"武器"となっている。あれこれ気が多くて移り気な私が、自分の選んだテーマを徹底的に調査し、人を説得させられるような形に仕立て上げる能力という"武器"を身につけられたのは、学部時代の「専門教育」の賜物だ。もしそこで「あれも、これも」といった散漫な学びしか行っていなかったらきっと、大学院も、今の就職も、ありえなかった。

 こんな私の実体験と、まったく重なるような話を、最近参加したシンポジウム『キャリア教育を検証する』(2007年6月1日開催、於・法政大学)で耳にした。
 若者の教育問題・就職問題に詳しい本田由紀准教授(東京大学)が、「総合教育ではなく専門教育を」「柔軟な専門性を身につけさせる」必要性を繰り返し主張されていたのである。

 この主張は、現在のキャリア教育の風潮である「総合力」「人間力」を身につけさせる教育を、という主張とは対立する類の意見のようにも思える。
 しかし「専門教育」は、実は社会性やコミュニケーションスキルというものを身につける可能性をも秘めている、ということを先生は強調されていた。

 私の経験談に話を戻すと、心理学専攻時代は、確かに実験計画法や統計解析、レポートのまとめ方などの専門家としてのスキルも学んだけれども、同時に、それ以外の能力も身につけることができたと感じる。

 例えば、グループワークを通じて、時には自分の意見を殺してでも、相手の主張を聞くことの大事さを学んだし、相手の主張を尊重することで今まで気付かなかった新しい発見が得られたこともある。調査実習班のメンバー同士のスケジュールを調整したり、実験協力を、研究室外や、学外の人々にお願いしたり、実験参加者募集の広告を作ったりした経験が、今の仕事や日常生活にも役立っている。

 つまり、逆説的ではあるが、専門を学ぶことによって、「人間力」っていうのも、実は後から、自然に、しかし着実に、身に付けることができたのである。

  こう考えると、「専門教育」とは、必ずしも"タコツボ"人間になることを目指す教育ではなく、自分の「個性」という"幹"を太くし、そこに社会性や対人関係力などといった"枝葉"を広げ、茂らせる教育である、と考えることもできる。

 そもそも「専門性」というのは、「個性」の具現化したひとつの形ではないか。「個性」を伸ばすことの重要性は誰しも否定しないはずだ。だとしたら、そういった各人の「個性」を見つけ出す場を積極的に与え、それを存分に伸ばすことを目的とした専門教育は、今後もっと歓迎されてもいいのではないだろうか。
(澤田美奈子)
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