COLUMN

2021.03.02小林 勝司

心中心・集団中心の社会を如何に手繰り寄せるか?

SINIC理論では、歴史的事象、提唱当時の経済指標、規範的な予測に基づき、2033年までの社会を10の発展段階で区分している。また、規範的な視点に基づき、物と心、個人と集団という2つの価値観のバランス変化により、10の社会発展段階を1周期としてスパイラルアップしていくとしている。つまり、2025年に到来する自律社会とは、心中心・集団中心の社会であり、1周期目のゴールでもあるのだ。

私は、心中心・集団中心の社会とは、関係資本によって価値が最大化する社会と捉えている。それも、知識、技能、学歴といった人的資本に基づくつながりや、社会規範や国民文化に基づく社会関係資本とは異なり、その中間に位置するスモールな「コミュニティー・キャピタル」を基盤とした社会である。

『コミュニティー・キャピタル論(西口敏宏、辻田素子著)』によれば、「コミュニティー・キャピタル」とは、特定のメンバーシップによって明確に境界が定められ、その成員間でのみ共有され利用される関係資本を指す。具体的な事例として、「三方良し」で知られる江戸時代の近江商人や、トヨタのサプライチェーン、慶応大学OBによる三田会などが挙げられている。確かにこれらのコミュニティーには、同郷、同業、OBといった物理的な関係性を超越した何らかのアイデンティティーが確立されており、結果的に、暗黙裡の互助関係が形成されている。

「コミュニティー・キャピタル」が醸成されれば、企業の経済活動、地域社会、教育活動などにプラス効果がもたらされる。企業の経済活動であれば情報の非対称性が解消され、地域社会であれば貧困層や移民の孤立化が回避され、教育活動であれば教育機会の平等化が可能となる。他方、閉鎖的な凝集性が先行してしまえば、外部との交流が減少し、似通った情報のみがコミュニティー内部を循環し、エコーチェンバー現象に陥る懸念がある。

つまり、心中心・集団中心の自律社会を実現する為には、参加の動機付けとなる凝集性と、多様性を受容していく遠心性が不可欠であり、その為にはまず、何らかの旗印のもと凝集性を強めていくことが課題となる。トヨタの実証都市、ウーブン・シティのように新たなテクノロジーの結合を旗印とするのか、それともシェアハウスやコ・クリエーションのように新たな人間関係の構築を旗印とするのか、いずれにしても、凝集性と遠心性の程よいバランスが重要であり、それをコントロールするのは自律的な人間たちなのだ。
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