研究員コラム

2006.07.01中間 真一

上司は思いつきでものを言う

 と、思っている人は、かなり多いことだろう。私もそう思っている。それ以上に私の部下をはじめ家族も、私の思いつきには、かなり振り回されているはずだ。鈍感とは言え、そのくらいの自覚はある。しかし、先日(6/26)の日経新聞「クイックサーベイ」欄の調査結果を見てギョッとした。メンタルヘルスを悪化させている仕事上のストレス要因は、「上司、先輩」が過半数を上回り(52.7%)トップなのだ。仕事の内容や評価よりも、上司そのものがストレス要因とは......

 じつは、少し前に橋本治さんの『上司は思いつきでものを言う』という本を読んだばかりなのだ。橋本さんの書く文章は、なんだかウダウダ言っているのだが、結局グサッと両手突きを喰らわされるようなところがある。今回も、私の中では、すでに麻痺してしまってフツーの会社の話しと流してしまいかねない「異常」に対して、「会社とは、上司のピラミッド」と言い切って、ウダウダ話と思わせつつ、鋭く切り込んでいた。

 橋本説によると「上司が思いつきでものを言うのは、上司がバカだとか、部下が優秀だとかいうことと無関係であり、会社という組織の中では、経済のしくみのもとで宿命的にそうなるしかないんだ」ということになる。会社は、利潤を追求する使命を持った組織。だから、会社の最初は利潤を吸える現場に根をおろすところから始まる。そして、利潤を得続けることに成功すると会社は大きくなる。会社が大きくなると上司と部下によるピラミッドが生まれる。そして、現場から遠く離れた上司がたくさん生まれる。そうすると、多くの上司達は現場が見えないままに、会社を大きくすることを自己目的化してしまう。だから、会社に従順な上司であればあるほど、現場から乖離した思いつきしか出てこない。そんな連鎖が、ピラミッドの頂上から現場という底辺まで降りてきた時には、もうとんでもないことになっている。というわけだ。

 そして今、20世紀を経てリアルな「現場(=必要から生まれる現場)」のフロンティアは、日本の中ではほぼ開拓しつくされてしまった。だから、21世紀の「現場」は、「必要」ではなく「観念」によって作られることになり、極めて危うい土台の上の経済なのだという。確かに、IT産業やマネーゲームの世界など、「ビジネスモデル」という言葉が使われるような領域は、どれも観念かイリュージョンから生まれた現場としか思えないものが多い。ということは、現場でさえも「思いつき」が増殖する場になりつつあるということだ。

 確かに、Web2.0と呼ばれる最近のネットの場では、そんな兆候が感じ取れる。知人から聞いた話だと、大学生など若い人たちが就職先を決めようとする時に、blogなどネット上の書き込み情報にかなり依存しているらしい。自分がその会社の経営や事業の将来にコミットしたいかという意志よりも、ネット上で評判がいいとか、担当の人のネット上での対応が感じいいとか、そんなことを重視して就職先を決めている傾向が強くなっているというのだ。もちろん、そうとわかれば採用する側も、それを手段に使うわけで、「思いつき」どころか、操作された情報に騙されてしまいかねない。

 20世紀の高度成長を通して現場から遠く離れてしまった会社組織の中に充満した「思いつき」、21世紀に入ってネットの現場に充満し始めた「思いつき」、これらの思いつきが一方的に悪というわけではないが、私たち個人の生きる場に確たる頼りがいのある情報が見つけにくくなっており、そのような情報の海に漂流する生き方が確実に増えつつあるのだ。

 そして、故郷(=現場)を懐かしむ上司であっても、会社組織の中の上司は、もはや故郷には戻れない。現場好きな私にとっては、かなりグサッとくる一言だ。エンジニアや営業マン出身の上司の中には、そう感じる人が少なくないはずだ。もはや、私たちが自律して現場に立って生きていく機会は望めないのか。それでも現場を求めるならば、組織に居続けることをやめなくてはいけないのだろうか。それとも、何かブレークスルーの策の可能性があるだろうか。

 幸か不幸か、私の場合、現場(故郷)はすぐそこに見えていて、すぐにフラッと降りて(戻って)いける。あるいは行かざるを得ない。つまり私は極小組織の末梢上司。しかし、末梢上司ゆえの幸せと醍醐味を堪能できる働き方があるのではと、サッカーW杯を観ながら感じた。きっと、あのジーコ監督だって目の前のラインをまたいでピッチに入り、自らシュートを決めたかったかもしれない。しかし、プレーヤーには戻れないし戻らない。だから、彼はラインを隔てただけの外側にいるからこそわかることを、自らの責任を持ってプレーヤーに伝えようとしていた。練習ではメンバーと共に汗を流して動きながら支援し、本番では外側から見守って伝える。こういう状況と関係は、工業社会型の大ピラミッド会社組織の中や、なんでも定量成果主義の評価のもとでは成り立ちにくい。しかし、そんな上司と現場の自律した協創関係こそ、自律社会の会社での働き方ではないか。だとすると、これからの幸せに働ける会社とは、どんな場になるのだろう?なんだか、このコラムも思いつきを散らかしっぱなしで終わるけれど、会社にも現場にも自律を邪魔する「思いつき」が溢れ始めた時代だからこそ、もっともっと現場のことを思いたくなっている。
(社会研究部 中間 真一)
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