COLUMN

2018.07.01中間 真一

〈オートメーション〉の次に来るもの

Automation→Augmentation→Autonomization→Autopoiesis

今年も後半に入りました。このコーナーでコラムを記すのも、残すところ1~2回となりましたので、少し懐古的に人と技術の関係のこれまで、これから、について持論の整理のつもりで書いてみます。

 およそ400万年以上前に、ヒトは樹上から地面に降りて生活を始め、自由になった2本の手で道具を使い始め、50万年前に火を使い始めたと言われています。このような中で、ヒトは知恵を巡らせ始め、よりよく生きていくための道具や技術を開発し使い始めました。

 時は巡って工業社会まっただ中の20世紀半ば1947年、大量生産の先駆者であるフォード社が、新工場の立ち上げの際に、生産ライン自動化担当部署として「オートメーション部」を設置して”Automation時代”が始まりました。オートメーションという言葉は、Automatic operationを短縮した造語だそうで、人の作業、特に制御する作業を不要にする高度な機械化という意味付けで始まっています。そしてさらに、機械化だけでなく電子的なシステム制御へと進化していったのです。そう、オートメーションとは、人の作業の機械や技術による「リプレイス(Replace)」なのです。

 工業社会が発展し、さらには情報化社会へと進む中、人が作業するよりも、より安く、より早く、より一定品質で、ものづくりをこなせる機械に次々に作業を任せ、生産性の飛躍的な向上を果たしてきました。それは、単純な制御作業や手足による作業、すなわち身体的作業のリプレイスから始まり、電子制御技術の発展により、複雑できめ細かい判断なども伴う制御など、頭脳や感覚を使う作業のリプレイスにまで範囲を拡げてきました。さらには、通信コミュニケーション技術の発展を受けて、リプレイスした機械作業と、人の作業の協調へと進み、現在の、インターネット、AI(人工知能)や高度なセンシング&コントロール機能を活用したオートメーションに至っています。すなわち、20世紀からの工業社会、情報社会の人と機械・技術の関係とは、「モノの生産性向上のための機械へのリプレイス」の歴史でした。仕事を人の外側にリプレイスしていく機械・技術です。

 さて、それではこれからの人と機械・技術の関係は、どうなっていくのでしょう?もちろん、機械に任せるオートメーションはさらに進化していくでしょう。しかし、新たな兆しは、人自身の力を増強させる方向”オーグメンテーション(Augmentation)”です。人の作業を、外側の機械に任せ続けるだけでなく、人間自身の内なる力をさらに拡張、増強していくことが、次のステージとなるのです。”AIが人の雇用を奪う”みたいな不安を解消するためにも、人の能力を高められるように、機械や技術が支えるという関係です。極端に言えば、千手観音テクノロジーです。方向性を見誤ると、大きな問題を引き起こす可能性もあり得ます。

なので、こういう話しをし出すと、私と同年代以上のシニア世代はサイボーグ脅威論を持ち出します。「巨人の星」の大リーグボール養成ギブスみたいな、悲惨な人間虐待技術を思い起こすのです。しかし、その世代こそ今、自らの体力や記憶力、様々な心身の衰えを実感しながらも、あと半世紀ほどあるかもしれない人生を前に、不安を抱えている当事者たちであり、他人に迷惑をかけないためにも、能力の維持や拡張が必要なはずなのです。私は当事者だからわかります。テクノロジーは性善説的人間による開発を、これまで以上に必要としているのです。

 サイボーグ漫画ではなく、ドラえもん以降に生まれ育ってきた若い世代、いわゆるミレニアル世代はと言うと、シニアとの比較では圧倒的に抵抗感が少ないのが特徴です。自分の能力だけでなく、生活時空間の拡張も含めて、技術への違和感が無いどころか、ぜひ欲しいという受け止め方が目立つのです。そういう彼らを冷ややかに眺め、「何もかもグーグル先生や食べログ頼みの空っぽ頭の世代」と揶揄する向きもありますが、それならなおさら、オーグメントは社会に有効な技術のはずです。既に、認知科学や脳科学、VR,AR技術やウェアラブル技術の世界では、このムーブメントに勢いが出ています。人と機械が一体化した「超人スポーツ」みたいな社会生活への実装も予兆の一つですし、パラリンピックも大きなトリガーとなっています。スタイリッシュでクールな義肢装具も現れ始めました。

 そう、人の外側の機械へのリプレイスを進めてきたオートメーションの次には、人そのものの力を高めるオーグメンテーションが来るのです。

 では、さらにその先、21世紀半ば以降はどうなるのでしょう?私はオムロンの創業者である立石一真が構築したSINIC理論の展開上にある「自律」というコンセプトに強く共感を寄せています。オートメーションとオーグメンテーションで高まった人間の可能性と実行力が、幸せな生き方や社会に結びつくためには、「一人一人の自律力」が必須の要件となります。しかし、宗教の歴史からもわかるように、人間はとどまることなく増幅する「我欲」を制御しきれない生きものです。そこで私は、オーグメンテーションの先に、人間の自律性を促す機械・技術としての”オートノマイゼーション(Autonomization)”があると考えます。それは、個々人の行動を自ら内なる力で変えていく作用をもたらすものです。心理学や行動科学などの領域でもあり、ポジティブな意味で「人を騙す」ことにも通じるし、マインドフルネスのような兆しに見られるように宗教の世界に近くなるかもしれません。

 さて、長くなりすぎましたが、オートメーションは、タスクを人間の外側に移し置きました。その先には、オーグメンテーションにより人間自身の能力を上げ、オートノマイゼーションにより自律した生き方と共に社会の最適化を果たされるという未来予想図を描いています。これらは、じつはSINIC理論のシナリオにも通じています。そして、さらにその先には、”オートポイエシス(Autopoiesis)”の到来を、私は睨んでいますが、自己組織性や自己生成という考え方については、まだまだ未消化の状態なので、もう少し消化を進めてから披露させていただきます。
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