COLUMN

2017.09.01田口 智博

不確実な未来像の共有に向けて

~人の認知フレームと未来ストーリーのすり合わせ~

 “百聞は一見に如かず”というと、今はまさに、VR(バーチャルリアリティ)がそれにピッタリと当てはまるであろう。最近、目にしたニュースでも、都内にVRのエンターテイメント施設が6箇所にまで増えてきているといった話題が取り上げられていた。そんなところからも、VRへの注目が集まっていることが窺える。
 私自身も体験してみなければ始まらないということで、先月、富士通さんのデジタル・トランスフォーメーション・センター(※)にあるVR施設を訪問させてもらった。そこでは、企業が顧客のビジネスに合わせたソリューションとしてVR技術を用い、エンタメ系とは異なる、教育や医療といった分野を中心にコンテンツを体感できる環境となっていた。

 VRというと、一般的にはヘッドマウント型のデバイスを装着するイメージを持つ人が多いに違いない。そうしたなか、今回の体験では、偏向メガネのデバイスを装着させてもらった。
 ヘッドマウント型デバイスでは、エンタメ系のゲームやアニメに代表されるように、人がVRの創り出す世界観に没入することに重きが置かれている。一方、偏向メガネのデバイスでは、人が対象物やシーンを周囲から360度ぐるりと見渡せる。なお且つ、角度や角速度を検知するジャイロセンサーを備えたペン型デバイスを併用して、直感的な操作も可能になるという。実際に試した医療コンテンツでは、VRで再現された人間の臓器をディスプレイから手元に取り出し、それを回転させていろんな角度から立体視するといった、今回のデバイスならではの特徴的な体験をさせてもらった。
 一言にVRといっても、目的によって利用するデバイスが違ってくるなど、これまであまり意識をしなかった気づきを得させてもらった。そして、説明を担当して下さったVR/ARソリューション推進部・宮隆一さんからの「VRを一時のブームではなく、医療などの実用面でもっと役立てていきたい」というお話が印象に残るとともに、VRのこれからの可能性を大いに実感できる貴重な機会となった。

 そもそもVRは“脳をだます技術”とも言われていて、人間の五感にさまざまな情報でもって働き掛けを行い、脳や神経系統で起こる錯覚を上手く利用している。脳が視野の中で欠けている部分を無意識に埋めるなどといった錯覚の利用は、よく知れたところである。VRが存在していないものを実際のものとして知覚してしまうという「仮想現実」と表現されるのも頷ける。
 そんなことを思いながら、ちょうど先日耳にした話の中で、人の固定観念に関することをふと思い出した。それは、人には“スキーマ”と呼ばれる、おのおのがこれまでの経験に基づく認知の枠組みを備えていて、その枠組みからはなかなか抜け出せないという内容であった。つまり、私たちが「物事をみる自分の視点を変えたい」、あるいは「自分自身を客観視したい」と仮に思ったとしても、VRで脳を錯覚によってだますようには一筋縄ではいかないことになる。

 HRIでは、未来の社会像・生活者像を描いて、そこから将来、出現するであろう社会課題、その解決策となりうるソーシャルニーズを創造するという業務を進めている。こうした取り組みのアウトプットには、ステークホルダーをはじめ多くの人の共感・理解が欠かせない。ただ、10年後の未来といった不確実な内容に加え、人それぞれに認知の枠組みが異なるとなると、その共感・理解のベクトル合わせは当然、容易にはいかない。
 そのような現状認識に立ち、最近は将来の具体的なシーン、そしてシーンの連なりから生まれるストーリーといった、これまでよりも一歩踏み込んだ未来の描写への注力を目指そうとしている。
 未来の共有に向けては、残念ながらVRの錯覚のような効果的な機能は持ち合わせていない。しかし、シーン、そしてストーリーの描写を重ねていくことで、周囲の人々と一緒になって同じ未来の光景を想像し合えるという可能性が高まるはずであり、それを起点に新たなソーシャルニーズの創造へと繋げていきたいところだ。
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