研究員コラム

2006.01.01中間 真一

そうだ、そんな明日 行こう!

明けましておめでとうございます。
本年も、HRI社会研究部のコラムをよろしくお願いいたします。

 年の初めは、やはり「希望」や「朝陽」が似合います。喜怒哀楽、去年もいろいろあったけれど、美しい夕陽とともに暮れゆき、安心の眠りを経て再び新たな希望の朝陽を仰ぎたくなります。これこそ私たちの「幸せ」の原動力ではないでしょうか。

 と、今年も私は、持ち前の脳天気ぶりをフルに発揮し、ハッピーにやっていこうと思っています。しかし、足もとの世の中はと言えば、不安や危険、疑惑や欺瞞が高ずるばかり。単純に勝ち組/負け組に分けたがったり、自己中心の正義を主張したり、なんでもかんでも数値でランキング化して自己都合のモノサシを押しつけられたり。「市場経済」は、私たちの生き方を豊かにしているのでしょうか?そもそも、「経済」とは人々の幸せを編み出す学問だったはずなのに。だんだん人々の間では、「大きな声の側についていれば大丈夫」とばかりに、電圧をかけられた自由電子の粒々のような生き方も目につき始めていると感じませんか?私たちは、電圧がかからない時だけの自由があればいいのでしょうか?

 また、以前にコラムで書いたように、「現状維持のためには、走り続けなくてはならない」という、不思議の国のアリスの「赤の女王」の言葉は、ますます声が大きくなって響きわたっているようです。何を壊してでも、誰を押し退けてでも、どんな手段を使ってでも、強い人が正しいと言えば、ところ構わずショートカットで走り抜けた方が「勝ち」なのでしょうか?そうではないはずだと、私は思います。共に社会を生きる人々との間での公の正しさを、もっと大事にしたほうがよくないでしょうか?

 映画『ALWAYS三丁目の夕日』人気はまだまだ衰えないと聞きますが、あのようにゴールがわかりやすく見えている時の「ハッピー」への道程では、人間の強さが、そのまま推進力になるのでしょう。しかし、今のようにゴールの見えない中を生きる時には、人間の弱さ脆さがあからさまに出てきてしまします。未来へのドライブにブレーキをかけたり、「自分だけは」とか「少しくらい悪いことをしても」と、コースから外れたりしてしまう人も増えるわけでしょう。

 昨年、予想より2年前倒しで、日本は人口減少社会の時代に入りました。ということは、高齢社会化も加速度的に進むでしょう。これを、衰退への下り坂に入ったと嘆くこともできます。人生の半分以上を生き終えてしまった人たちは、そう言っていればいいかもしれません。しかし、日本の社会には現実として多くの次代の担い手の子どもたちがいます。この子どもたちに聞こえるところで、これ以上、投げやりな言葉を吐かないでほしいと思います。定常化の豊かさを求める道だってあるはずです。そのためには、立ち止まって問題を考え、解決への道を学び、活動を始めることが大切ではないかと思います。

 スウェーデンに暮らす知人から届いたクリスマスカードに、一編の素敵な詩が訳されて添えられていました。


お祝いの日の朝早く、誰かをびっくりさせようとする子どものように
窓枠から朝の光がそっと、わくわくしながら差し込んでくるとき
私は両手を広げ、くるくる替わる歓声をあげて、近づいてくる一日を迎える
なぜなら、一日はあなただから
光はあなただから
太陽はあなただから
春はあなただから
そして、美しい美しい、これから来る人生そのものが、あなたなのだから
カーリン・ボイエ作(邦訳 三瓶恵子さん)

 ワクワク、ドキドキ、ムズムズしながら、歓声をもって次の朝を迎えたい。
じっと、朝陽の暖かさ、明るさを体いっぱいに感じられるような、
そんな未来を、そんな自律社会を展望するなら、
そうだ、そんな明日 行こう!
(中間 真一)
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