COLUMN

2016.04.01田口 智博

"あったら嬉しい、あったら幸せ"の創造

 2016年がスタートしてからちょうど3ヵ月が過ぎたところ、4月は新たな年度への移行という、再び"はじまり"を感じさせてくれる時期だ。桜の開花をはじめとする春の到来、入学式や入社式など新たな門出といった変化や動きが、新たなスタートをさらに印象付けてくれる。

 
"はじまり"の4月には、「夢」や「希望」という言葉を胸に、新たな一歩を踏み出す人も少なくないはずだ。そんなことを思いながら、2月に訪れた釧路の地での講演、『希望学の玄田教授の白熱教室』の一コマが頭に浮かんだ。というのも、その講演冒頭において、「"夢"と"希望"の違いは?」という問い掛けがなされたからだ。
言われてみると、この2つの言葉は案外深く考えずに使っているケースが多々あるのかもしれない。その場での玄田教授の話を振り返ると、「夢」は無意識にみるもの、一方、「希望」は意識して持つもの。とりわけ、希望には、「こうありたい」という現状からの"変化"の要素が加味されるのも特徴だそうだ。
 希望学*とは、正式には「希望の社会科学」という、2005年から東京大学社会科学研究所で研究が進められている比較的新しい学問領域である。それによると、「希望」は大変な状況を経験した人、あまり損得を考えない人、あるいは、挫折を経験した人から生まれることが少なくない。また、釜石や福井など実際のフィールド調査から、「希望」は自分たちで創り、育てていくものであるということが指摘されている。
 
 ところで、HRIでは昨年度、ありたい未来を考える中から、10年後を見越した新たな社会的課題の把握に取り組んだ。その際、生活者の視点から「こうありたい」という"変化"を明らかにするため、10年後に高齢期に突入する、今現在の51~56歳を"この先シニア"と呼び、グループインタビュー調査を実施した。
 そこでの特徴的な結果について、いくつか挙げてみる。一つには、女性がリスクとして恐れていることは「孤独になること」。対する男性は「時間を持て余すこと」、なかでも「欲を失うこと」への恐れが強く示された。続く二つ目には、男性・女性とも「子どもの世話にはなりたくない」という意向が言葉の端々から聞き取れた。現在の団塊シニアが「子どもに迷惑をかけたくない」との回答が多い傾向をみると、この先シニアでは「自分たちの力で」という思いや意識がより強まっていると捉えることができる。
 
こうした調査結果からは、人々が思い描くこれからの生き方として、自分自身がまずはしっかりして、他者ともつながりながら意欲に溢れた暮らしを実現するという意向が少なからずみえてくる。ちょうどオムロンの未来シナリオ『SINIC理論』でいう、社会が自立力・連携力・創造力の3つを構成要件に、変遷を遂げて辿り着く"自律社会"の姿に通じるところである。
 
そんな自律社会では、「こころの豊かさ、生きる歓び」が目指すところとされている。実際、昨今はモノが潤沢に溢れる社会となって、人々がこれまで以上に積極的に消費を行う余地は簡単には見えてこない。要は、何か新しいものがなくとも、不自由なく満ち足りた生活をしていける状況がそこにはある。
 
再び玄田教授の言葉を借りると、「"希望"が持てていなくとも、人は問題なく日々を過ごしていける。ただ、誰もが希望を自分たちの手で創っていけるための道すじを希望学では探し続けている」という。
この指摘は、どこかこれからのイノベーションを考える上でも共通するのではないだろうか。物質的な豊かさが満たされた今だからこそ、こころの豊かさの実現に向けて、希望と同じように「なくてもいいが、あったら嬉しい、幸せ」と感じさせてくれる新たなモノ・コトづくりが求められてくるという。
 
*『希望学』:東京大学社会科学研究所
http://project.iss.u-tokyo.ac.jp/hope/hopology/
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