研究員コラム

2015.08.01中間 真一

World Future 2015に参加して~「人と機械の関係の未来」を想う彼我の差~

7月24日からの3日間、"MAKING THE FUTURE"をテーマに、世界の未来研究者が集まる年に一回の会議がサンフランシスコで開催された。この会議や主催団体のWORLD FUTURE SOCIETYには、以前より強い関心を持って注目していたが、その会議に参加する機会を得た。30か国以上、高校生から80代の元大学教授まで、多様なFuturist(未来研究者)が集まって、未来志向の熱い議論が交わされた。スゴイ。
 
この組織が結成されたのは1966年、第1回の世界会議は1971年に開催されている。当時の活動の中心メンバーには、「宇宙船地球号」という未来社会コンセプトを提唱したバックミンスター・フラー、名作SF「2001年宇宙の旅」著者のアーサー・C・クラーク、著作「第三の波」のアルビン・トフラーや、ハーマン・カーンなど、未来研究の大物の面々が名前を連ねている。スゴイ。
 
そうなのだ。ちょうど時を同じくして、オムロン(当時の立石電機)では創業者の立石一真が、未来研究の重要性をいち早くセンシングして、京都で開かれた国際未来学会議でSINIC理論という、独自の未来予測理論を発表していた。スゴイ。
 
その後70年代以降の未来学は、コンピュータリゼーションを中心とした情報社会がテーマの中心となり、ネット社会を経てきているわけだが、今回の会議の中心話題は、案の定「AI(人工知能)と人間の関係」、「ロボット(機械)と人間の関係」の2テーマに集まっていた。すなわち、人の能力を上回る機械の登場が、人や社会と機械の関係をどのように変えていくのか?という議論だ。オモシロイ。
 
会議のプレゼンテーターは圧倒的にアメリカ人が多かった。その反映なのか、彼らの論調に共通する特徴が直ぐに見えてきた。日本での同様の議論や生活の中の機械の位置付けと差異が目立ったからだ。AIやロボットに対して、私たちは、脅威と不安を感じてはいるものの、それ以上に何か明るい未来を楽観的に展望しているところはないだろうか。ハタシテ。
 
私たちHRIは、人と機械が「融和」する関係を未来像として提案しているが、彼らの論調には、あくまでも両者の間に取り除きがたい一線を引いている。ヒューマノイドロボットの開発が、欧米にあまり見られず、圧倒的に日本がリードしているのもその証左と言えるだろう。ソーシャル・ロボットであっても、 人の顔をしていない傾向が強い。未来学者というリベラルな人々であっても、人とロボットが手を取り合って相互に影響を与え合うというイメージは希薄で、ロボットは人の「僕(サーバント)」であるべきという価値観が、根深く浸透しているように感じられた。だから、彼らの問題提起には、このような技術による新たな「犯罪」、新たな「脅威」の可能性を主張するものが多い。ナルホド。
 
例えば、これらの分野の最先端で、グーグルやNASAがスポンサードしているシンギュラリティ大学の教授のプレゼンでは、"Robots are "Good" in Japan!"というスライドを「鉄腕アトム」の絵と共に提示し、韓国では「ロボットの『人権』が議論されている」という事実も持ち出して、東アジアのロボティクスの特異性を述べていた。私は、コーヒータイムにその教授らに「私は、鉄腕アトムを楽しみにして子ども時代を過ごしてきたが、そんなに不思議なことだろうか?」と話しかけ、鉄腕アトムの主題歌から「♪心優し、ラララ科学の子♪10万馬力だ。鉄腕アトム♪」という歌詞を紹介してみた。その時の反応は、「心、優しい、科学の子、なぜ、それほどに人工物に仲間意識を持てるのか?」、「10万馬力のロボットが可愛いと思えるのか?」というものだった。私は、驚きながらも日本人にとっての「八百万の神」のメンタリティをIoTと並べてMoT(Mind of Things)と言ってみたが、創造主である神様のもとにつくられた人間という意識の強い彼らにとっては、とても刺激的だったようだ。こうして、おしゃべりの輪は広がり弾んだ。ワイワイ。
 
長くなってしまった。より詳しい話にはふれられないが、ことほど左様に、人と機械の「融和」に対する想いの彼我の差は大きかった。やはり、同じテーマであっても多様な角度から議論する価値は大きい。しかし、私はやはり「融和」の道に未来を確信している。そのためには、ロボットや機械が「道徳」を持つことは重要だという思いを強くした。シッカリ。
 
夕食を食べに出かけたサンフランシスコの路面電車の車内広告に、ふと目がとまった。"Proud of my past, Focused on my future"、冒頭に掲げた今回の会議のテーマと重なった。
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