研究員コラム

2005.09.01中間 真一

幸せって何だっけ?-生みの苦しみ、生んだ歓び-

 夏の熱気は高校野球の決勝戦と共にピークを迎え、秋に向かってクールダウンを感じるこの頃だ。そんな中で、熱気あふれているのが政治家のみなさん。今回の選挙は、これからの日本が、幸せな未来に向かうのか、取り返しのつかない不幸の道に落ちるのか、「あなたは、どちらを選ぶ!」と、デジタルな選択を迫られているかのようだ。しかし、少なくとも周囲の仲間達は、熱いデジタル気分になりきれず、季節のうつろいのごとく、今日を生きつつ翌日への一歩一歩を重ねるアナログな「間」の連なりの中で、「たいへんなことにならなければ良いのだが」と心配している。幸せって、何だっけ?

 もともと「幸福」は非科学的な概念として、科学から避けられてきた。だから、経済学では「幸福」ではなく「効用」を置いてきた。しかし、時代の大きな変化の中で、ブルーノ・S・フライらスイスの経済学者による『happiness & economics』という本も著された。彼らは、「お金」ではなく、真正面から「幸せ」の獲得を経済学の対象にしようと試みている。そのくらい、生きる目標(≒希望)が危うくなり、時代の不安が高まっていることの表れかもしれない。幸せって何だっけ?

 HRIで昨年実施した価値観調査の中に、「自分にとっての幸せな人生、生活の基準を持っていますか」という質問をした。持っていると回答した人は全体平均で24.1%。女性の平均だと27.4%で男性よりも7ポイント近く高い。20代の平均は31.0%で年代別では最高、30代の2倍近い。なぜだろう?このコラムを読んでくださっている方々なら、もう気づいているかもしれない。幸せって何だっけ?

 この夏、子ども達を対象に私たちが実施している「てら子屋」は、北海道まで足を運び、化石発掘と天体観望を満喫した。晴天で余計な光が無い北海道の星空には、天の川もとてもきれいで、流れ星も天空に光の尾を引いた。「きれいだ」と、その時、子ども達の何人かが地面に仰向けに寝て「カネ、カネ、カネ・・・」と連呼し始めた。流れ星を見ながら願いごとをすれば叶うからだと言う。やはり、幸せはカネなのか。周囲の子ども達もまねし始める。「カネ、カネ」の大合唱で、こちらは気分悪くなる。と、その時、天上をゆっくりと星が流れた。と同時に、子ども達は「カネ、カネ」の連呼を止めてしまい、「あっ・・・」と言葉を失ってしまった。そこまでカネに執着していなかった子ども達の素直さに救われた。また、「プラネタリウムのメガスターで見る星と同じくらいたくさん見えるのに、本物の空は、もっと星座がきれいで、わかりやすく見えたよ」と言った子もいた。うん、幸せって何だっけ?

 「明るい未来を拓いていくためには、改革の痛みに耐えなくてはならない」と為政者は言う。生みの苦しみには耐えろということだ。しかし、なぜ生みの苦しみに耐えられるのか?生んだ歓びを味わえるからだ。今、私たちは、生んだ歓びとして、何を求めているのだろうか?恥ずかしげも無く言えば「幸せ」だろう。しかし、幸せって何だっけ?悲しいかな、理屈っぽく考えても、堂々巡りを繰り返すばかりだ。残念ながら、生みの苦しみを味わわず、およそ500万年を経てきてしまった人類のオスには、退化してしまった感性なのかもしれないと寂しくなる。「そんなこと言って、開き直るな」とお叱りの声も聞こえてくる。しかし現に今、幸せが「モノ」でも「カネ」でもなくなってしまい、未来への「幸せ」を確かに想えること無しには、苦しんで何を生んだらいいのか、わからない時代が到来している。そうなるとやはり、「そうは言っても、やっぱりカネでしょ」とうそぶく男より、おんな子どもの感知力に学ぶべき時代なのかもしれない。ハピネス・エコノミストを目指したいものだ。
(中間 真一)
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