COLUMN

2014.12.15田口 智博

人の関与から生まれる"レジリエンスな社会"

 新しいモノやサービスを考えようとする時、私たちは通常、そこに何かしらこれまでとは違った技術や仕組みを取り入れた発想を試みようとする。実際、過去のイノベーションといわれる新商品・新サービスを思い浮かべてみると、そこには新技術・新システムの導入によって、従来実現されなかった新たな価値が生み出されているケースが数多くみられる。
 そうした中、先日参加したある議論は、そのことに対する問題提起のような場であった。というのは、今の社会はあらゆるシーンにおいて極力、人の介在がなくとも物事が滞りなく運ぶような設計が進められようとしている。その一方で、そこでは、もともとは人間のしなやかさを表す言葉として使われていた、"レジリエンス"というものを無視したものになっていないだろうか。そして、社会全体として果たして人の視点に立ったレジリエントなシステムが実現できているのだろうか、という内容であった。
 
 確かに社会が高度化していくにつれ「人の創意工夫や関わり、成長を奪う社会」、「完璧すぎて人にやさしくない社会」といった側面は、少なからず弊害として出てきそうである。議論では、「レジリエントなシステムを損なっているものは?」という問いかけへと続いた。そこで挙がったのは、「医療・介護制度」や「セキュリティシステム」、「交通システム」、「ITデバイス」、「都市への一極集中」――等々のキーワードであった。
 例えば、「医療・介護制度」でみると、誰もが病気に罹ると、病院で診察や薬処方を受けて効果的に治療できる。しかし、個人の日頃の健康管理・病気予防を促して病気にならない人を増やすという観点では、現在の医療の仕組みにはまだ工夫の余地があるといえる。また、介護においても、「要支援認定された人には、サポートをしていきましょう」だけでは、過剰な支援が逆にその人の健全な機能や能力まで低下させてしまう恐れも出てくるだろう。
 
 では、逆に「レジリエントなシステムといえるような例は?」という話になる。例えば、「交通システム」に関して、最近は環状交差点「ラウンドアバウト」という海外ではよく見られる、信号機のない丸い交差点が日本でも導入が進められようとしている。信号システムによる制御ではないため、車のドライバーは手前で安全確認をしてから交差点に入る必要がある。一見手間がかかるように映るが、これによってスピードが出しにくくなって重大事故が減少する。また、災害などによる停電時でも交通整理に人員を割く必要がなくなるといったメリットが期待されている。
 
私たちが生活する上で、個々人でコントロール可能なことについては、モノやサービスに過度な依存や期待をしないように留意しながら行動することができる。それに対して、前述の医療や介護、交通などをはじめとする、多くの人々が享受する技術やシステム領域では、社会全体で人の関与を考える、ソフト面でのアプローチができると良いはずだ。そうすることによって、社会や暮らしが、"レジリエントなシステム"と呼べる人間味溢れる豊かなシーンで彩られるのではないだろうか。
 
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