研究員コラム

2005.05.01中間 真一

タケノコ掘りから思いを馳せた-他者意識から生まれる希望と喜び-

 好天のゴールデンウィーク初日、暢気にタケノコ掘りに出かけた。風の谷幼稚園に集合したのは、IT系ベンチャーの社長や、マスコミ関係の人など、およそ1ダースくらいの大人たち。それぞれ、園児と同じリュックサックを背負い、同じ道を2列に並んで幼稚園の先生の引率で目指す竹藪へ向かう。15分くらい歩いただろうか、竹林の主にごあいさつの後、裏山を登り、思い思いの道具を持って、急勾配の竹藪に散らばる。少し経つと、あちこちで、「おっ、見つけた!」と声が上がる。私も、急斜面に目を懲らし、地面に少しだけ顔を見せていた立派な1本を発見。慎重にまわりをスコップで掘り始めるが、竹藪の地面は根が張り巡らされていて、まったく掘り進めることができない。まわりのみんなも、掘り出しに集中し始め、しばし竹藪から嬌声は消える。

 そのうち、あちらこちらで「おー、やったー、でっかいぞ!」と歓声が上がり、みごとなタケノコを取り上げ始めた。しかし、私が目をつけたタケノコは、立派なのだが四方を太い根にガッチリ囲われ、さらには細かい根も網の目のように張り巡らされ、掘り出しにはほど遠い。次第に焦りも出てくる。ご主人に、「これ、どうやったら掘れるでしょう?」と尋ねると、「うーん。こちら側に付け根がありそうだから、こっちを掘るといい。思い切って根を断ち切っていかなきゃだめだ」とのこと。なるほど、アドバイスの通り。確信を持って、根気強く掘っていって、とうとうみごとなタケノコを掘り出すことができた。

 しばらくすると、それぞれに自分の掘り出し経験をもとに、周囲の掘り出しを手伝ったり、掘り方をアドバイスしたりと、初対面の間でも、あっという間にタケノコを中心とした協働の場が、そこここに生まれた。地表には見えない、ぎっしりと複雑に張り巡らされた竹の地下茎から出てきたタケノコを結び目として、人が集まり共に力と知恵を出して掘り出しては、歓声を上げ、さらにはみんなで取れたてのタケノコをおいしく味わう。ふと、この姿こそ、いま私が強く関心を持っている「ノット・ワーキング(Knot working)」のわかりやすい一形態かもしれないと感じてしまった。タケノコ掘りであれば、幼稚園児も起業家も同様に、すんなりと必要に応じて、必要な場に結び目を作って、みんなの満足を高めていく。そこには、他者との競争や勝ち負けよりも、他者と共にプロジェクトの成功から得る満足に価値がある。

 「自己責任」とか「自己決定」というキーワードが流行る時代だが、私は以前から、「自己意識」以前に「他者意識」が重要なのではないかと感じている。「他者」の存在は、不安も生むが、希望も生むはずだ。自己完結からは「希望」は生まれないと思う。希望格差とか、未来に希望の持てない社会と騒がれるが、その根底には、他者意識の希薄化があるのではないだろうか。このあたりが、私の問題意識の地下茎を流れている。そんなことまで思いをはせた、おいしい、おいしいタケノコ掘りであった。ごいっしょしたみなさん、ありがとう。
(中間 真一)
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