研究員コラム

2013.06.01澤田 美奈子

自動車教習のアフォーダンス


一念発起して自動車免許を取ろうと決めたは良いものの、運転というのは思うよりも簡単ではなかった。
概して社会人の免許取得は、若い学生に比べて時間がかかると言われる。それは、反射神経や記憶力の衰え、教習日程の間隔が開いてしまうといった致し方ない理由だけではないらしい。ベテラン教官いわく、最大の原因は「社会人のみなさんは頭で運転しようとするのがいけない」のだそうだ。
 
たとえば方向転換(車庫入れ)は多くの教習生にとっての難所だと言われるが、学生は「ハンドルは右に切る」と一言いえば素直に実行すると言う。一方、右に切れと言っているのに、(右にバックで入れるから、後輪を傾ける向きは...ハンドルを回す向きは...えーっと左じゃないのか?)などと理屈で考えて余計混乱するパターンは社会人に多いと言う。「あまり難しく考えないで、とにかく身体で慣れちゃえば良いの!失敗するための教習所だからネッ!」という教官の言葉に、私は普段いかに<身体>で学ぶことをなおざりにしているかと、ハタと気づいた。
 
未来のクルマは思考だけで走るようになっているかもしれないが、いまのところ自動車は自分の身体で運転するものである。だから教官の言うとおり、ハンドル、ブレーキ、アクセルといった操作系の扱い方や車両感覚の把握を、頭だけでやろうとしても無理な話だ。とにかく四の五の考えないでやってみれば良いのだ。
 
けれども歳を重ねるに従って<身体で学ぶ>ということから遠のいてしまっているという事実。仕事の場面もそうだし、料理や初めてのスポーツ、初めての地への旅、新しいデジタル機器の使い方など、何か新しいコトにトライしてみようとするとき、まず説明を受けたりマニュアルを読んだりしながら、実行に移す、という<頭が先、身体は後>という順序が常になっている。確かにスマートではある。前もって頭で理解しておけば、無駄な行動をしなくて済むし、失敗のリスクも低減できる。
 
子どもの頃はどうだっただろう。自転車の乗り方、鉄棒の逆上がり、記憶には無いが、初めて歩いたとき、鉛筆を持って書くことを覚えたとき――<頭>ではなく<身体>が先に動いた(はずである)。結果はどうなるかわからないが、とりあえずエイヤッ!とやってみる。やってみた後に起こったことに対して、次どうするか調整を繰り返して、なんとなく要領を掴んでいきながら、新しい能力や作法を身につけてきた。
子どものときは当たり前にやっていた<身体性>を大人になるにつれて失ってしまうのは、それが感覚的で、どちらかと言えば低級で、効率の悪い方法だとみなしてしまっているからかもしれない。
 
だが<身体が先>という学習方法は、決して非効率でも低級なやり方でもない。それを教えてくれるのが、例えば國吉康夫教授らが開発している知能ロボットである。これまでの多くのロボットは、まず外界をデジタルデータで認識し、どう手足を動かすべきかを軌道計算してから、精密に実行するものであった。だがそのやり方では、ロボットがいつまでたっても環境変化に柔軟な対応できるものにはならない。そこで開発されたヒューマノイド「Rダニール」では、複雑なプログラムを持つ代わりに<身体性>が重視された。「寝そべった状態から起き上がる」というタスクを、高度な演算ではなく、ロボットが自らの手や足を地面に振り下ろした「反動」から、次の動き方や重心を調整してバランスを取りながら、ユラユラと立ち上がっていく。見事な動きをする、限りなく人間に近いロボットである。
 
教習所の方向転換で、前輪後輪の傾きだとか車体とポールとの間隔を頭で理解しようとしていた自分は、まさに<あらかじめ演算してからタスクを実行する>環境に適応しにくいタイプのロボットだった。だが教官の言葉をきっかけに、とにかくエイヤッ!とやってみる、もうすこし賢いタイプのロボットに変われたのかもしれない。おかげで、何度も縁石に乗り上げたりポールに接触したりもしたが、試験は一発でクリアできた。
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