COLUMN

2004.12.01鷲尾 梓

ソーシャルネットワーキングサービスと「つながり」の未来

 もう何年も会っていない友人から、一通のメールが届いた。それは、最近話題となっている「ソーシャルネットワーキングサービス」の「GREE」への招待状だった。

 「ソーシャルネットワーキングサービス」とは、インターネットを通じて友人・知人の間の交流を深めたり、お互いの友人を紹介し合ったりする場のことである。参加者は、自分のページに自己紹介や写真を掲載して、もともとの友人や、そこで新たに知り合った人との間でリンクを貼り合い、知り合いの輪を広げていく。

 日本初で国内最大級のソーシャルネットワーキングサービスである「GREE」の名前は、「Six Degrees of Separations(6次の隔たり)」という概念に由来するという。この概念は、アメリカ人社会心理学者のスタンリー・ミルグラムによるもので、「知人の知人、その知人...とたどっていくと、6人目までに世界中のすべての人間と間接的な知人関係を結ぶことができる」というものである。

 「6」という数値と「世界」の大きさはあまりにもかけ離れていると感じる人は少なくないだろう。ミルグラムはある社会実験でこの概念の実証を試みているので、その概要を紹介したい。その実験は、いわゆるチェーンメールを使ったもので、ネブラスカ州オハマの住人160人をランダムに選択し、それぞれの知人へ手紙を転送することで、最終的にボストン在住のある人物までその手紙を届けるよう依頼するというものであった。その結果、ほとんどの手紙が5,6段階の知人を経ることでその人物のもとに届けられたのだという。

 この実験結果は、知人から知人へ、つながりがつながりを生んでいくことの持っている可能性の大きさを物語っている。インターネットを利用してこれを実践するソーシャルネットワーキングサービスのような場は、つながりが生まれていく速度を、これまでは想像もつかなかったスピードまで加速していくと考えられる。

 しかし、その可能性は、自分の手の届く範囲を超えてネットワークが広がっていくことへの不安と背中合わせでもあるように思う。

 サイトを訪れる前にまず私が感じていたのは、つながりが限りなく遠くへと伸びていくことに対する不安だった。理論的には、私たちは6つの連鎖を介することで世界中の全ての人と知人関係にあるのだから、ある人物を「友人の友人の友人」と考えるか、「他人」と考えるかは、捉え方一つの問題だということにもなる。

 しかし、実際にサイトを訪れてみて私が目にしたのは、それまで思い描いていたものとは少し様相を異にする世界だった。私を紹介してくれた友人のページを訪れてみると、そこには、学生時代の懐かしい友人の顔が並んでいる。かなり詳しいプロフィールとともに、写真や実名を公開している人も少なくない。もちろん私が直接知らない人も多いのだが、「友人の友人」として、自分との共通の友人と並んで掲載されているプロフィールを眺めていると、別の場面で出会ったとしたら感じなかったであろう親近感をおぼえるから不思議である。写真や実名を公開できる安心感は、全ての参加者が友人関係でつながっているということから来ているのだろう。

 ソーシャルネットワーキングサービス上で築かれるネットワークは、外へ外へと広がっていくものというよりも、むしろごく近い人間関係を網の目のようにつなげていくものと捉えた方が正しいのかもしれない。その「つながり」の糸は一本一本が独立に伸びているのではなく、その先でつながり合い、自分の知らないところでつながっている可能性もある。「友人の友人の友人」が実は直接の友人であったり、仕事上で付き合いのある人であったりすることも充分に有り得る。

 そこでの本当の不安は、つながりが限りなく遠くへと伸びていくことに対する不安というよりも、むしろ「近くがつながり過ぎてしまう」ことに対する不安なのかもしれない。複数のコミュニティーに所属している私たちにとって、それらのコミュニティーがひとつの場でつながりあうことは、メリットを持つと同時にデメリットとなり得る部分もある。仕事上のつきあいとプライベートのつきあいを結びつけることを嫌って、ソーシャルネットワーキングサービスのような場への参加を敬遠する人もいる。

 最近では、そのような不安を解消するためのサービスも生まれてきている。情報の送り手と受け手の親密度に応じて、受け手が見ることのできる情報を変えられるというサービスである。情報の送り手は、その内容によって、「全員に公開する」「親密な相手だけに公開する」などを設定し、受け手の側には、自分が見ることのできる情報だけが表示される。自分が見られない情報が存在することはわからないので、お互いに関係を悪化させることなく、相手に応じたコミュニケーションができるというしくみである。

 言葉にすると複雑なプロセスのようであるが、相手との関係や親密さに応じて適切なコミュニケーション内容を選択するということは、私たちが実際の生活の中で自然に行っていることである。ソーシャルネットワーキングサービスのような場が発展し、高度化していくことは、従来のコミュニケーション手段では不可能であった「つながり」の範囲とスピードを手に入れることと共に、そこでのつながりをより現実の人間関係のあり方に近いものにしていくことでもあるかもしれない。

 成長を続けるこの新しい場は、私たちの人間関係のあり方にどのような影響を及ぼしていくのだろうか。一通の招待状によってひらかれた世界は、まだまだ奥が深そうだ。
(小山梓)
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