研究員コラム

2012.11.01中野 善浩

バカとスマートが支えあう笑いの世界

映画『最強のふたり』。本国フランスに続き、日本でもロングランとなっている(現在も上映中)。頚椎損傷で首から下が動かない大富豪の男性フィリップを、貧困層の青年ドリスが住み込みで介護するという物語である。教養に満ちたフィリップに対して、ドリスは無教養で、女性のことで頭がいっぱい。正反対の二人であるけれど、本音をさらし合うことで交流を深めてゆく。美談に仕立て過ぎるという批判もあったそうだが、実話をもとに制作されている。モデルになった二人が登場するのも、他にない特徴だろう。スピード感があり、随所に笑いがあふれ、そのため強調されてはいないが、ケアのツボを数多く抑えた作品だと思う。
 
フィリップはパラグライダーで事故に遭った。パトカーを簡単に振り切るスポーツセダンも所有している。大金持ちなので、おそらく日々、刺激的な生活を送っていたはずである。ところが重篤な障害を抱え、専門家から介護を受ける身となる。そして専門家たちは、一定の規範に基づいて、手厚い介護を提供しようとする。ところがルールに沿った介護が連続する日々に、フリップは辟易していた。
対してドリスは、まったくの常識知らずで「嫌な仕事は嫌だ」と抵抗するし、身体感覚を失ったフィリップに熱湯をかけるなど、バカな真似を繰り返す。さらにはフィリップにタバコを勧め、マッサージ嬢のデリバリーを手配するなど、自分の欲求のままに行動する。このような破天荒の介護が、フィリップには心地よい刺激になり、やがて笑顔も絶えなくなる。
二人の組み合わせは極端な例であるけれど、クオリティ・オブ・ライフを高めるには、やはり適度の刺激や笑いは不可欠である。笑顔は、人間が生後初めて獲得する後天的機能であり、死ぬ間際まで残っている機能だと言われている。だから、快適な笑いが多く出るということは、その人らしさがもっとも現れている状態だと見ることもできるだろう。そして刺激や笑いを得るには、ときに常識から逸脱することも重要で、ドリスのようなバカ者と呼ばれるような人々は、それが得意なのである。愛されるバカ者たちに限られるわけだが。
 
ただし、バカを許容するには、前提として余裕が必要となる。フィリップの場合、大金持ちであり、ドリスの他にもサポートするスタッフがいた。言うまでもなく、ひとりでケアを行うよりも、周辺環境としてケアの体制を整えるのが望ましいのだろう。
さて、来年秋に生活支援ロボットの国際規格ISO13482が発行予定となっている。いよいよ介護や福祉分野などでロボットが本格的に登場する時代も近づいてきたようだ。ロボットに期待されることは、人間の肉体労働の軽減であり、介護の作業を的確かつ効率的に行ってくれることである。介護現場でロボットを適切に活用できる体制が整えば、人々の余裕を生み出すことになるだろう。介護を行う側も、受ける側も、ときはルールから逸脱して、危険のない範囲でバカ者として振舞うことも歓迎されるようになるかもしれない。笑いが生まれる場面が多くなってゆくはずである。
 
スマートコミュニティ、スマートハウス、スマートデバイスなど、このところ多様な分野でスマート化が進められている。それらは賢い機械や技術の導入であり、安全の確保という点で、特殊ケースを除いては、バカであることは決して許されない。だからこそ、ときに人間がバカ者として振舞うことを受け入れる堅牢性も備えてほしい。愛されるバカとスマートが共存し、支えあう世界。ゆたかな笑いのある未来が到来してほしいと思う。
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