研究員コラム

2012.10.01中間 真一

シンギュラリティ考~コンピュータを人間のライバルにしないために~

 機械の知性の研究者であったアラン・チューリング生誕100年にあたることもあってか、お掃除ロボットなど賢いロボットが登場し始めたからか、音声認識スマホが出てきたからか、人工知能の話を耳にすることが、近頃再び多くなっている。
 チェスの世界チャンピオンやクイズ王がIBMのスパコンに敗れ、プロの棋士が富士通の将棋ソフトに敗れ、最近では2021年に日本の知のシンボルたる東大合格を目標とした人工知能開発プロジェクトが国立情報学研究所で始まっている。このまま、コンピュータは人間の知を超えていってしまうのだろうか?
 
 先日、将棋ソフトに敗れた米長邦雄永世棋聖の対局の話を聴く機会があった。毎秒1800万手を読めるコンピュータ相手では、情報処理速度そのものではかなうはずがない。コンピュータに手を読ませないため、奇策を打って出たものの、昼休みのアクシデントが影響したのかどうか、終盤で隙を突かれて崩れてしまったとのことだった。
 大好きな酒も断ち、コンピュータソフト攻略を練ってきた米長氏は、対局まで2週間と迫った今年の正月、奥さんに「私は勝てるだろうか?」と問い、「あなたは勝てないでしょう」と答えられたそうだ。その理由は、「あなたには今、愛人がいないだろうから」ということだったが、これは何か意味ありげだ。人間にあって、コンピュータに無いものの一つには「感情」が挙げられる。「情動」、これは今後の人と機械の関係において、大切な論点となるのではなかろうか。
 また、米長氏は「目や耳から入ってくる情報がノイズになる」ということも指摘され、目や耳を塞ぐことの重要性も説いていた。また、見るレベルでなく、観る、看るとレベルを上げることの必要性も主張された。これは、データ化されたものをいくらでも呑み込んで瞬時に処理する機械の強みとは違う、人間ならではの能力かもしれない。心と脳の関係にもつながるのだろうか?
 
 人工知能が人間の知を超えることは、数年前あたりから「シンギュラリティ(Singularity)」と呼ばれ始めている。未来学者のポール・サッフォー氏は2030年までには必ずシンギュラリティは実現すると語っている。
 それでは、シンギュラリティが実現した世界は、人間にとってユートピアなのか、それともディストピアなのか?サッフォー氏をはじめ、多くの未来学者は楽天的なようだ。その背景には、人間の高い倫理性や協調性、創造性への強い信頼感がある。
 
 しかし、私は手放しに楽観的にはなれない。人と機械の主客転倒は起こり得ると感じるからだ。それを防ぐためには、今のレベルをかなり上回る、私たちの技術リテラシー向上が必要だ。もちろん、それは誰もが最先端のコンピュータ技術の知識を持つことではない。また、サービスや製品を使いこなす力とも違う。相手たる「機械」の原理を見透かす力だ。
 つまり、それは高校レベルの自然科学の原理原則の理解と言える。そう考えると、大学受験を効率的にパスするためのムダな学びを排除して、即効性のある勉強をさせる今の日本の「お得な」学校に価値を置く科学教育では、心もとない。「ニュートンの運動方程式は本当か?」とか、「微積分を文章だけで表現しきる」みたいな問いかけこそ必要だ。膨大な量の入試問題の解法は、目や耳を閉ざして遮断した方がいいかもしれない。それは、早晩人工知能のアルゴリズムがさらりと処理してしまうかもしれないからだ。
 
 オムロンの未来予測SINIC理論によれば、2033年には「自然社会」と呼ぶポスト工業社会の一つの成熟型に到達すると予測されている。シンギュラリティの実現と自然社会の到来、この両者の予測時期の一致は、とても意味深い。この時期に社会の中核を担っているのは、「ゆとり世代」と呼ばれる現在の大学生たちとその前後の世代だ。じつは、彼らの「ゆとり」が強みとして適応戦略となる時代に向かっているのかもしれない。少なくとも、今の中高生には、詰め込み効率指向回帰ではなく、ゆとりの創造性指向の教育環境を提供したいものだ。そもそも、人と機械は互いに競い合う相手ではないのだから。
 
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