研究員コラム

2012.07.15澤田 美奈子

人間中心主義の可能性

 「機械にできることは機械にまかせ、人間はより創造的な分野での活動を楽しむべきである」というオムロン企業哲学の捉え直しが必要になっていると、私も強く感じています。2012年現在、機械にできることはあまりに増えている。おそらくこの言葉を遺した創業者の生きた時代からは考えられないほどに。そんな中、これは機械にはできない、人間にしかできないんだ、と断言できる分野は果たしてどれだけ残されているのか。そして人間の役割は何なのでしょうか。
 
たとえば私の今日の仕事など振り返ってみます。
 
・メールをチェックする、簡単に返信する。
・来週の出張先の行き方をネットで調べて、新幹線を手配する。
・ある本を探すために所内の本棚のあいだをウロウロする。結局見つからなかったのでAmazonで購入する。
・コラムを書く
 
今日のメイン業務はコラムを書くことですが、コラムに取り掛かる前に行う細かな仕事に結構な就業時間を費やしているのも現実。これは機械にもできる仕事、と言えばそんな気もします。
たとえばIBMの「ワトソン」がこれらの業務を遂行することを考えてみます。メール返信は豊富なデータベースのメール文例から、相手に合わせた適切な表現で粋な季節の挨拶なども適宜交えながらスマートに遂行。出張のプランニングを頼めば、私はまだ新幹線の切符手配しかしていませんが、地方のお勧めレストランなど気の利いた提案もしてくれることでしょう。探している書籍タイトルが所内にあるのかないのかなんてことは瞬時に判断でき、まったく無駄のない仕事ぶりです。比べてみればみるほど、私が時間・手間・無駄を費やした作業を、要領よく間違いなく愚痴も言わず遂行するコンピューターは、きわめて優秀な働き手に思えてくる。唯一、こうしたコラムの仕事はワトソンにはできない仕事だと信じたいところですが、アメリカではForbesの一部記事も昨年からロボットが担当しているとのことで、この先どうなるかわからない。
まあそんなに悲観せずともコンピューターに人間の仕事が奪われる日はそう簡単には来ないよと笑う人もいるかもしれませんが、その理由が、その仕事を機械にやらせるより人間を雇うほうが安いから、というようなコストの理由だとしたらあまりにかなしい。しかしこういった現実は確実に起こっていて、社会全体もそういう方向に向かいつつあるように思えます。
 
テクノロジーが無限の可能性を見せている今だから、冒頭の哲学を「人間中心主義」で読み解きたいというのが私の主張です。作業のスピードや正確さにおいて人は機械に劣るかもしれませんが、スピードや正確さというものさしは、作業そのものを人間から取り上げる判断基準になるのだろうか。たとえ機械にできる内容だとしても、人はささやかな仕事や単純な繰り返しにも見える仕事を、自分の身体や頭を動かして取り組むことで、手ごたえや矜持を感じ、プロセスや全体の中に働きがいを見出すものです。機械にとっては与えられた仕事は単なる「作業(タスク)」かもしれないが、人間にとっては「作業」以上の何かがある。ですから、機械になにができるかという技術発で問いを立てるのではなく、人間は何をやりたいのか、どこに働きがいや生きがいを感じるのかという人間中心の問いからスタートし、その上で機械がどう役立てるのかという順序で考えることが重要だと思います。
 
このようにあまり「人間視点」を強調しすぎると、人間中心主義で来た結果が今起こっていることではないかという反発も聞こえてきそうです。しかしテクノロジーが進んだ結果、自然は破壊され、便利だが不安定で、前回コラムの言葉を借りれば、人間らしさややさしさや会話が失われ、ものは溢れているのに満たされない今の世界が、人間が"本当に"望んでいた結果とは思えない、これは結果ではなくまだプロセスに過ぎないのではと思うのです。人々の心や感受性や欲望に耳を傾ければ傾けるほど、私たちにとってhappyな未来は、人間も社会も自然も収奪しない方向性へ向かうことが求められるように思えてなりません。
 
 
 
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